シオニズム運動とは?その歴史をわかりやすく簡単に解説
ユダヤ人は2000年以上もの長い間、差別と迫害に苦しんできた民族です。宗教・経済・人種など多くの面で差別されてきたユダヤ人は、ユダヤ人国家の再建を目的としたシオニズムという運動を19世紀末から始めました。
今回は、シオニズムが起こった経緯をユダヤ人迫害の歴史をまじえてわかりやすくご紹介します。現在も続くパレスチナ問題についても理解を深めることができます。
シオニズムとは?その意味を簡単に解説!
シオニズム(シオン主義)とは、ユダヤ人国家をかつての故郷であるパレスチナに再建しようという運動です。その名前はエルサレムにある「シオンの丘」に由来しており、19世紀末にヨーロッパに住むユダヤ人の活動から始まりました。
1948年にイスラエル国が成立したことで目的を達成しましたが、パレスチナに住むアラブ人(パレスチナ人)と新たな対立を引き起こし、現在でもパレスチナ問題として紛争を続けています。
なぜシオニズムは起こった?経緯を解説
シオニズムが起こった経緯から、イスラエル建国までの経緯をわかりやすく解説します。
迫害されたユダヤ人の歴史
ユダヤ人の歴史は古く、紀元前12世紀頃に誕生したと言われています。ヘブライ語を使い、キリスト教の祖先であるユダヤ教を作った民族で、自らを「イスラエル人」(神から与えられた名称)と呼び、他民族からは「ヘブライ人」と呼ばれていました。
紀元前11世紀末にパレスチナにヘブライ王国(イスラエル王国)を建国しましたが、西暦70年にローマ帝国がパレスチナを支配し(ユダヤ戦争)、ユダヤ人たちを追い出しました。その結果、ユダヤ人は国をなくし各地に離散してしまいます。
一方西暦33年、ユダヤ教を改革しキリスト教の基となる考え方を各地に広めていたイエス・キリストが処刑されます。処刑を先導したのがユダヤ人関係者であったことから、ユダヤ人はキリスト教徒から「神の敵」とみなされ敵視されます。
ユダヤ人は離散後も各地で集団を作り信仰を守ってきましたが、キリスト教世界となった中世ヨーロッパでは宗教的な反ユダヤ感情によりユダヤ人の迫害や虐殺が続きました。国の社会情勢が悪化したり伝染病(黒死病)が流行したりするたびに、その不安をユダヤ人にぶつけ人種差別を生んでいきました。
ドレフュス事件に衝撃を受けたヘルツル
ドレフュス事件とは、1894年にフランスで起きたユダヤ系軍人の冤罪事件です。ユダヤ人差別が原因で起こったこの冤罪事件は、シオニズムが始まるきっかけとなりました。
1894年の夏、フランスの機密情報がドイツに漏洩した事件で、ユダヤ人であったことからフランスの砲兵大尉アルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕されました。証拠が不十分だったにもかかわらず有罪が確定し、ドレフュスは終身刑として南アメリカの「悪魔島」に送られました。その後真犯人が発覚するも、反ユダヤ主義の人々や軍部、カトリック教会からの反対が続き、ドレフュスが無罪となるまでには10年以上の年月を要しました。
ドレフュス事件を取材していたハンガリー出身のユダヤ人ヘルツルは、ヨーロッパでのユダヤ人差別を目の当たりにし、パレスチナにユダヤ人国家を再建しようという運動(シオニズム)を始めました。
バルフォア宣言と三枚舌外交
バルフォア宣言とは、第一次世界大戦中にイギリスがユダヤ人と結んだ協定で、大戦後パレスチナにユダヤ人国家の建設を支持するというものです。1917年にユダヤ系財閥の当主でシオニズム運動の代表者でもあったウォルター=ロスチャイルドへ書簡で表明されました。
パレスチナは当時、オスマン帝国の領土となっていました。第一次世界大戦でオスマン帝国と敵対したイギリスが戦いを有利に進めるため、またロスチャイルド家から資金援助を受けるために結んだ協定です。
しかしイギリスは、アラブ人ともパレスチナに独立国家を認める協定(1915年:フサイン=マクマホン協定)を結び、ロシア・フランスとはオスマン帝国領土を三分割する秘密協定(1916年:サイクス・ピコ協定)を結んでいました。この同時に実現不可能な3つの協定は、イギリスの「三枚舌外交」と呼ばれています。
大戦後、パレスチナはイギリスが支配することになりました。しかし、バルフォア宣言によりパレスチナにはユダヤ人が大量に流入し、1920~30年代にはユダヤ人とアラブ人の対立が激化しました。イギリスの三枚舌外交は、現在まで続くパレスチナ問題の原因のひとつを作ったといわれています。
反ユダヤ主義の再燃とホロコースト
ホロコーストとは、ナチスドイツとその同盟国がユダヤ人に行った組織的な迫害・虐殺のことです。
第一次世界大戦に敗北したドイツでは、1933年にナチス党が政権をにぎると反ユダヤ主義の考えが再燃し、ユダヤ人の市民権剥奪やドイツ人との婚姻禁止、国外追放などが始まります。第二次世界大戦中には、ユダヤ人排斥が絶滅政策に転化し、強制収容所や絶滅収容所では強制労働、銃殺、人体実験、毒ガスなどで600万人以上のユダヤ人を虐殺しました。
このようなおぞましい行為は、ナチスドイツが敗戦し第二次世界大戦が終結する1945年まで続きました。
パレスチナ分割決議とイスラエル建国
第一次世界大戦以降、パレスチナではユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人)の間で衝突が続いていました。状況が深刻化するなか、イギリスは第二次世界大戦後にパレスチナを放棄し、国際連合に解決を求めます。
その頃、世界は残酷なホロコーストの実態に衝撃を受けていました。その結果、シオニズムは力を持ち、1947年にはパレスチナをユダヤ人とアラブ人に分割し2つの国家を作るというパレスチナ分割決議が国連で採択されます。翌1948年にはユダヤ人国家であるイスラエル国が建国され、シオニズムは目的を達成しました。
しかし、パレスチナ分割決議ではパレスチナ人口の約3分の1にあたるユダヤ人にパレスチナの57%の土地を与えたため、アラブ諸国がこれに猛反発。これまでに4度の中東戦争が起こっており、現在でもパレスチナ問題として争いが続いています。
差別や難民問題などで苦しむ人を支援する
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